キラッと輝くたからもの

2007年から、毎年1回「キラっと輝くたからもの」と題し、看護・介護現場からの実践報告会を行っています。これは「情勢に流されずに、日常業務に追われている現状から一歩踏み出し、自分たちの看護・介護の実践を振り返ろう、全体であらためて民医連看護介護の輝きを発信しあい、確信につなげよう」と、取り組んでいるものです。実践報告はバラエティに富んだ内容で、患者さん中心に取り組んださまざまな事例を通し、生き生きとした職員の姿が感じられます。ある職員は、自分たち(働くもの、医療者)で輝くものではなく、そこに患者さんたちがいることで、初めてキラっとすることがわかりました、と話します。毎年、笑いや涙、感動があります。現場で悩みながらも、患者さんや利用者さんにチームで寄り添い、あきらめないで願いにこたえようとしている姿にあらためて自信を持ち、看護や介護の原点に立ち返ることができる時間です。
以下に、いくつかのセクションからの報告をダイジェストとして掲載します。
「発表では感動して涙が出ました。」
「患者さん利用者さんの希望をかなえる実践が多く聞くことが出来て学びとなりました。原点に戻ることが出来て明日から又頑張りたいと思いました。」
「民医連の介護看護にさらに確信を持つことが出来ました。たくさんの参加でこの会が成功したと感じました。他のセクションの頑張りをきいて民医連を感じました。」
各人が民医連看護介護の実践の原点にたちもどり、明日からの頑張りにつながる集会となりました。

以下に、いくつかのセクションからの報告をダイジェストとして掲載します。

患者さんに寄り添った看護・介護から の学び
4病棟
ご高齢の患者さんは、入院したときに環境の変化に慣れるのに時間がかかり、一時的に認知症状が悪化することがあります。病棟全体で、その人らしく療養できるようにどうすれば良いか日々話し合い、ケアにつなげています。
泰三さんは心不全の急性期治療を終え、リハビリや今後の療養についての相談を行うため4病棟にこられました。まだ病状が不安定のため、24時間の点滴が必要で、それも認知症のため抜いてしまい危険なため、両手を抑制し、夜は点滴の鎮静剤を使用していました。しかし、夜は一睡もせず寝たり起きたりを繰り返し、昼間は帰宅願望が強く、おちついて休んでいることができません。歩く時はふらついて危険なため、常に見守りが必要ですが、泰三さんは「常に見られている」ことにストレスを感じていました。 食事を再開しても、夜点滴している鎮静剤の影響で、食器に手を伸ばしても眠気が強く口まで運べません。どうしたら食べることができるか、抑制をせず、できるだけストレスの少ない状態にしてあげたい。入院初日から、連日医師とのやり取り、カンファレンスを繰り返し、入院後1週間で鎮静剤の点滴を内服薬に変え、点滴、尿管、抑制はやめました。

旭川市 夏雲と1本の白樺
体についていたものが次々となくなり、自由に動く事ができストレスもなくなったため、泰三さんの表情は日に日に明るくなりましたが、夜は眠れず、寝巻きを脱いだりオムツをはずしたりは続きました。眠剤や鎮静剤を使用すると昼間まで眠気が残ってしまうので「できるだけ薬を使わず、泰三さんを支えよう」と、夜落ち着かないときはベッドごと詰所にきて眠ってもらったり、眠れそうになければ車椅子に座っていただき、夜勤者が交替でお話(見守り)をしました。その中で、以前していた仕事やご家族のことなど、色々なお話をしました。
リハビリがすすみ歩けるようになってきてからは、歩きたいと希望されるときには夜中も手をつないで病棟内を散歩したり、詰所でお茶会と称し、スタッフも一緒に水分をとりながら、泰三さんが落ち着き、横になれるまで看護師、介護士が交替で付き添いました。夕方になるとご家族を待って落ち着けなくなることから、ご家族に面会時間は夕食後にしていただけるよう相談したり、食事が減った時期は好きな食べ物の差し入れをお願いしました。
このかかわりを繰り返し、徐々にお薬を使わずに昼夜の生活リズムが整いました。ご家族と相談の結果、施設入所の方向には決まりましたが、泰三さんとご家族の希望から、入所までの間はご自宅で生活することになりました。ご自宅での生活に備えて福祉サービスを調整し、心不全悪化予防のための栄養相談も行いました。退院前日、泰三さんは「寂しい」と涙を流されていました。
泰三さんの退院後、「元気にすごせているか」「夜眠れているか」気になった私たちは、ご自宅に訪問させていただくことにしました。その日、ご自宅に伺うと、泰三さんは椅子に座って私たちを迎えてくれました。入院中何度も「家に帰りたい」と話していた泰三さん。ご自宅に帰っての感想は「やっぱり家はいいなあ」奥さんも「一時はもうだめかと思ったけど、こんなに元気になって帰ってこれるなんて思ってもみなかったよ」と喜んでいらっしゃいました。
ご高齢の患者さんにとって、環境の変化はその後の生活にも影響するので、入院中から日常生活を意識し、維持していくことが必要です。今後も入院中のストレスを最小限にできるよう、患者さん・ご家族の生活背景や意向に沿い、退院後もその人らしく笑顔で生活できるよう、スタッフ一丸となって取り組んでいきたいと思います。
診療所だからできること
ながやま医院

美瑛
「住み慣れた地域でいつまでもいきいきと暮らしてもらいたい」 これは、診療所で働く私たちの願いです。 ある日、受付けに1本の気になる電話が。「支払いは月末になるけど、診てもらえますか?」、、、事務と看護師でご自宅まで訪問しました。
電話をくれたのは、治療が必要な慢性疾患をもつまりこさん、60歳。ご主人は癌で他界され、20代の娘さんと2人で生活しています。昔から暮らし向きは楽ではなく、娘さんは高校生のときからアルバイトをかけもちして家計を助け、高校卒業後は就職し、現在そのお給料が主な生計です。まりこさんもパートで働いていますが、薬代が大きな負担になることから、薬がなくなっても受診できず、間隔をあけながら通院していました。
ご自宅に訪問し、最初に「生活保護の申請についてどうだろうか」と問うと、娘さんはぽろぽろと涙をこぼし始めました。まりこさんは「今はこんな状況だけど、2人で相談してなんとか食費を切りつめ、できるところまで頑張ろうと決めています」「娘は若いし、お肉も食べたいときもあると思うけど、贅沢せず、3パック50円の納豆を分け合って食べると1日生活できるの」と話されました。生活保護に対して「できる限り自分たちの力で頑張ろう」と決め合ったと聞き、申請の選択枝はないとわかりました。しかし、まりこさんの病気は継続した治療が必要であることから、現在のような中断しがちな受診状況では悪化していくため、当法人の無料定額診療の申請を提案し、承諾されました。(無料定額診療制度については、病院のホームページをご覧ください)
今は、一条クリニックに安心して通院されています。後日「病気のことだけじゃなく、生活のことまで相談にのってもらえると思いませんでした。生活が安定したら、またながやま医院にもどってきますので、よろしくお願いします。ほんとにありがとね!」と笑顔で報告してくれました。まりこさんの笑顔に心から「関わる事ができてよかった」と思い、まりこさんご家族の幸せを願います。
法人全体でとりくむ在宅医療
在宅医療部

中富良野 ファーム富田
ハルさんは明治生まれの99歳です。ひとり暮らしで、以前はご家族と一緒に外来に通っていましたが、徐々に待ち時間がたいへんになり、2年前から往診にきりかえました。高齢ですが、とてもしっかりされているハルさんは、デイサービスに通って入浴し、自分でできない買い物や掃除をヘルパーさんに依頼して、生活を組み立てています。馬が歩いていたという昔の旭川の様子をはなしてくれます。若い頃から続けている野菜作りは、今も立派な畑になっています。冬は寒く日没も早いので、3時半にはストーブで温めた石といっしょに布団に入ります。あつい夏、食べられるようにと、降ったばかりの雪をタッパにつめて冷凍庫にたくさん入れています。生活のお話しを聞くと、驚くことも多くて、大丈夫??と往診のたび思うのですが、大きなトマトを毎日1個食べ、長年の生活の智恵で元気に過ごされています。99歳のお誕生日には「上寿」のお祝いで色紙に寄せ書きをしてプレゼントをしたら、とても喜んでくれました。
カズオさんは98歳の男性です。さまざまな内科の病気と認知症があり、骨折をきっかけに往診をはじめました。奥さん、息子さんご夫婦の4人で生活されていますが、奥さんとお嫁さんはそれぞれ持病があり、自由に体が動かず手助けが必要です。息子さんは仕事が忙しく、カズオさんと奥さん、お嫁さん3人が助けあい、協力しあってなんとか生活をしていた矢先の、カズオさんの骨折でした。往診と同時に、毎日のヘルパー、週2回のデイサービス、毎週の訪問看護をはじめましたが、カズオさんの認知症による生活の困難さが際立ちました。冬場、暖房のない寒い部屋で布団もパジャマもぬれたまま寝ているカズオさんに度々驚くとともに、よく熱をだして体調を崩していた理由もわかりました。介護を必要とする3人が自宅にいて、介護をする人がいない中、ケアマネージャーに生活面の情報を集中、毎日訪問するヘルパーさんとノートを使って情報交換をして、カズオさんに必要な援助が確実に行えるよう、整理していきました。お薬も確実にのめるよう、処方を整理して、ヘルパーさんのいる時間にのめるように設定しなおしました。そうしたところ、徐々に体調が良くなり、生活も安定してきました。その方の生活背景をとらえて援助することで、一見難しく見える自宅での生活も、続けられるということを実感する取り組みでした。

美瑛 ジャガイモの花咲く新栄の丘
在宅で患者さん、ご家族を支援していくためには、たくさんのセクションとの連携と情報交換を大切にしています。難しい事例にもたくさん出会いますが、カンファレンスで智恵を出し合い、事例から学んでいます。患者さん、ご家族の「家に帰りたい」「安心して地域で暮らしたい」希望をかなえることができるように、支援していきたいと思います。患者さんを生活の場から捉えて、患者さんの立場に立ち、要求から出発し他職種とともに連携を重視したチーム医療の実践を、これからもがんばっていきます。
一緒に収穫祭を
訪問看護ステーション 宗谷さわやかポート
「もう、いつ逝ってもいいんだけどね。」
91歳のヨシさんの口癖です。自分のことより、いつも娘さんご家族のことを心配するヨシさんは、そう言ったあとにいつも「でも、今死んだら年金が入らなくなって、孫に小遣いも上げられないし、困ると思ってね、、。」と続けます。お孫さんは大学卒業後なかなか就職できず、一番の気がかりです。

稚内6~7月、 訪問看護で海岸を通るとエゾスカシユリなどきれいな花が咲いています。
そんなヨシさんに大事件がおこりました。去年から、左頬にできものができ、オロナイン軟膏を塗っていましたが、なかなか治癒せずだんだんと大きくなってきたため、皮膚科を受診したところ、「転移性皮膚癌」と診断され、「予後は月単位」という余命告知までされました。それに対し、ヨシさんも娘さんも「精密検査などはせず、このまま様子をみていく」と結論をだしたので、その考えを支持するようにしました。
「こわいんだ」いつもストーブの前に横になっているヨシさんはとても静かです。昔は畑や庭仕事が好きだったとのこと。それでは、、、と土を耕し、種をまき、水をまき、小さな庭に数種類の作物を一緒に植えました。それからはヨながら、一生懸命水遣りをしている姿をみかけるようになりました。『一緒に収穫できるように頑張ろうね。収穫できたら収穫祭をしようね』と、訪問のたびに声をかけ続けました。収穫祭を楽しみに前向きに1日が過ごせますようにとの願いをこめて。
そして、あれから1年がたとうとしています。不思議なことに、あれほど大きくなっていた左頬のできものは、いつの間にか小さく小さくなっていき、消えていました。ヨシさんは、庭に枝豆をまいたことも、残り少ない命だったことも、すっかり忘れて日々生活しています。
今年もまた一緒に種を植えて、作物の成長を一緒に楽しみながらすごしていこうと思っています。
患者さんの辛さに共感し、あきらめないでサポートしたい
~患者さんに笑顔が戻ることが、私たちの最高の喜び~
3病棟

きみこさん(仮名70才)はグループホーム入所中に仙骨部に巨大な褥瘡ができ治療目的で入院しました。精神疾患があり、意志の疎通が難しく、昼夜を問わず大きな声を出し、幻覚や独語、殴る、蹴るなどの行為がありました。そのような症状が毎日続くのはご本人にとって辛いのではと、総合的に治療ができる病院に相談をしましたが、受け入れてもらえる病院はありませんでした。精神科では褥瘡があることから入院は難しく、通院で薬を調整していくことになりました。看護師も精神状態が不安定で暴力行為があるきみこさんを担当することはかなりの負担でした。そのためチームで疾患に関する学習や安全な医療、看護が提供できるように看護の統一を図るカンファレンスを重ねてきました。きみこさんは、約2ヶ月で内服コントロールがつき次第に落ち着いた療養生活ができるようになり、笑顔や「ありがとう」の言葉も聞かれるようになりました。そのことは看護の励みになりました。又、巨大な褥瘡は医師、栄養師、看護師の連携により9ヶ月で完治することができました。どんな時も、チームが一丸になり、患者さんの辛さに共感できる看護をこれからもしてゆきます。
「この家で犬と暮らすのが俺の楽しみ」という熱意に共感して
訪問看護ステーション東光ぬくもりポート

潔さん(仮名80才)は4年前から在宅酸素療法を始めデイサービス、訪問看護、訪問ヘルパーを利用しながら大好きな犬2匹と一人で暮らしていました。潔さんの家は築40年以上で、寒くすきま風が入り、冬期間は呼吸器の病気がある清さんにとっては命を脅かすものでした。そのため冬期間は療養病棟に入院し安心して生活することができました。しかし、入院中にねずみが自宅を占拠し、犬の餌や仏壇のお供えを食べ、援助に入っているヘルパーさんの前にも平気で顔を出すようになりました。ご本人はさほど苦にしていないためなかなか駆除に踏み切れませんでした。そこで、ケアマネージャーがリーダーとなり、ケアに関わっているスタッフが検討し、酸素の管をかじる危険性などをご本人に説明しねずみ駆除に踏み切ることになりました。ねずみとり籠や粘着テープを設置し一週間で合計20匹のねずみ駆除に成功しました。その後ねずみは出没せず安定した在宅生活をすごすことができました。私たちは、国の政策で療養病棟が削減される中で今後は施設入所をと考えていましたが、潔さんの「この家で犬と住むのが俺の楽しみ。」という熱い気持ちに共感し、住み慣れた場所での生活をこれからも支えていきます。
小さな気づきを大切に患者さんに寄り添う看護がしたい。
4病棟

武さん(仮名75才)は小脳出血のため2年前から入院しています。病状が安定しても痰が多く誤嚥性肺炎を繰り返し、嘔吐などで経管栄養の確立が難しく入院が長期化していく中で次第に表情が乏しく、目の輝きも失ってきました。ご家族の面会の時に武さんは果実の栽培やトラクターを自ら作ることが趣味というお話をうかがいました。ご家族に武さんが育てていた果実の写真を持ってきてもらい病室に飾りました。武さんは写真をじっと見つめていました。暖かい日は10分程度外を散歩し花を眺めました。穏やかな表情でした。武さんの小さな変化を見ていたナースから外出プランの提案がありチームでカンファレンスをしました。病状が安定し主治医からの許可もおり、ご家族から武さんが植えた果物の実がなる頃の外出希望がされました。サクションが必要なため看護師が同行しました。外出時の写真には武さんが植えた果実を手に微笑んでいるような表情が写っていました。これからも、小さな気づきを大切に、患者さんに寄り添う看護をチームでしていきたいです。
人工呼吸器をつけて本州から旭川へ
4病棟

昨年のお正月すぎに、病院に1本の電話が入りました。それは、人工呼吸器をつけて本州で在宅療養をしている和人さん(仮名25歳)のお母さんからの相談で、「長年息子の在宅介護をしていたが、このたび故郷の旭川に息子と移り住みたいと思う。在宅と入院含めた息子への医学管理や支援をしてくれる病院を探している」というもので、旭川の電話帳を見て片っ端から電話をかけ続け、当院にたどりついた、ということでした。現在4病棟には常時人工呼吸器をつけている患者さんが2名入院されており、日々その方たちのリハビリの送迎や入浴介助、時には外出支援を行っていますが、呼吸器をつけた方への在宅支援ははじめての経験ですし、また、3台目の人工呼吸器管理となると、Nsの負担も大きくなります。ですが、ここでお断りをしたら、和人さんとお母さんはまたふりだしに戻ることになります。「私たちに相談してくれた、ということを大切に考えよう」とスタッフ全体で意思統一をし、受け入れ準備のための事前調整をすすめていきました。夏の終わり、本州を早朝5時に出発した和人さんとお母さんが当院に到着されました。およそ1ヶ月間入院していただき、その間にレスピレーターをつけて在宅生活ができるよう、準備をしました。ですが、自治体により細かなところで違いがあるため、以前はレンタルできていたものを旭川では購入しなければならない、利用料金がちがう、などお母さんの負担を考えると調整することは山積みでした。しかし、在宅医療部やMSWのネットワークという民医連ならではの強みで、無事準備を整え、在宅に移行することができました。 もともと和人さんは意識がなく寝たきりの状態でしたが、大きな病状の変化もなく、その後もレスパイト(介護者の休息が目的の短期入院)で当病棟へ2回入院されています。今回のことは、私たちNsにとっても、ご本人・ご家族への支援やチーム医療を確認する良い機会となりました。今後も患者さん、ご家族の願いにこたえる医療活動をしていきたいと思います。
「こどもにあいたい」~患者さんのこころの奥にあった願い~
3病棟

今年68歳の京子さん(仮名)は、下肢の閉塞性動脈硬化症により入院し、下肢のバイパス術と切断術を受けました。手術前から食欲がなく精神的に落ち込んでいましたが、手術後更にそれが強くなり、リハビリも拒否され回復への意欲は低下する一方でした。京子さんは認知症があり、食事やリハビリが創の治りを良くし、回復につながるということを理解してはいただけませんでした。しかし、闘病中の京子さんの様々な言葉の中から、糸口を見つけることができました。それは「幼いときに手放してしまった、こどもにあいたい」ということでした。京子さんには複雑な事情があり、入院後面会に来られるご家族はいませんでした。MSWと連携し、何十年も音信不通だったお子さんと連絡をとることができました。「何て声をかけたらいいの?会うのが怖い」再会前日にそう話していた京子さん、当日はお子さんの顔を見ながら、言葉も無く涙を流し続けていました。医師や看護師が「今までお母さんがお子さんに会うことを楽しみにしていたこと、それを励みにご飯も食べるようになれたこと」などをお話ししました。別れ際、親子で手を握りあい、涙を流しあう京子さんの手には、お子さんからのお土産のカーディガンが大切に握られていました。この再会を機に、京子さんは確実にかわりました。笑顔が増え、気持ちも前向きになり、リハビリ参加も日課になりました。生きる意欲をとりもどし、回復の道すじをたどることができました。そうして、下肢の創も完全に治癒し、装具が完成したとき、「これは私の足」と言って大粒の涙を流されていました。 病気、まして手術となると、認知症をもつ高齢者には相当なストレスがあります。患者さんの生きてきた背景を十分理解した看護が必要なことを、あらためて学ばせていただいた事例でした。
最後まで住み慣れた我が家にいたい
一条外来

陽子さん(仮名、79歳)は、数年前にご主人を看取り、一人で暮らしていました。お話し好きで、受診のたびに最近の出来事などを楽しく話してくれました。体は癌の転移が全身にひろがり厳しい状態で、ご自身もそのことを知っていましたが、周囲にそう感じさせないくらい、いつも明るい陽子さんでした。病状が進み、遠方に住む息子さん宅へ転居の相談がされましたが、陽子さんは「私は40年間住みなれた家にいたい。ずっと通ったこの病院で看取ってもらいたい」と看護師の手を握りしめ、涙をぽろぽろとこぼしながら話されました。 その願いにこたえたい、私たちはそう強く思い、陽子さん、ご家族と患者参加型看護計画を立てました。いつも周りに気をつかう陽子さんが、つらいときにがまんしすぎず、住み慣れた家でできるだけ生活を続ける事ができるように、という内容でした。同時に、外来でのカンファレンスを重ね情報を共有し、来院や入院のとき、スムーズに対応できるよう準備をする一方で、体調の確認のため頻繁に陽子さんへ連絡をしていました。 11月、お誕生日の翌日に陽子さんは入院しました。入院後は鎮静剤を使いながら、会いたい人たちみんなと会い、2週間後にご家族に見守られながら静かに息を引き取りました。後日お悔やみ訪問に伺うと、たくさんのお花やお供えものに囲まれた陽子さんの遺影がありました。「とても素敵でしょう。お見合い写真みたいでしょう。亡くなったときも、孫と一緒にお化粧をしてもらって、本当にいい顔だったよ。お通夜やお葬式にもたくさんの人がきてくれて、泣いたり笑ったり、、、最後まで自分らしく過ごせて、母はほんとに幸せだったと思う。私たち家族も、悔いは残ってないんだよ。」息子さんご夫婦が話してくれました。そのとき、本人の願いから出発し、家族も医療者も同じ想いで陽子さんの最後の生活を支えることができたということを、あらためて実感することができました