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キラッと輝くたからもの

キラッと輝くたからもの

 2007年から、毎年1回「キラっと輝くたからもの」と題し、看護・介護現場からの実践報告会を行っています。これは「情勢に流されずに、日常業務に追われている現状から一歩踏み出し、自分たちの看護・介護の実践を振り返ろう、全体であらためて民医連看護介護の輝きを発信しあい、確信につなげよう」と、取り組んでいるものです。

 実践報告はバラエティに富んだ内容で、患者さん中心に取り組んださまざまな事例を通し、生き生きとした職員の姿が感じられます。

 ある職員は、自分たち(働くもの、医療者)で輝くものではなく、そこに患者さんたちがいることで、初めてキラっとすることがわかりました、と話します。

 毎年、笑いや涙、感動があります。現場で悩みながらも、患者さんや利用者さんにチームで寄り添い、あきらめないで願いにこたえようとしている姿にあらためて自信を持ち、看護や介護の原点に立ち返ることができる時間です。

 道北勤医協のキラッと集会は形、やり方を変化しながら2023年度15回目を迎えます。

 「実践の振り返りから学びや喜びを共有しよう」と各セクションでの実践エピソードをまとめました。

 さらに「今年のキラッとはホームページと連動しよう」と同意を得ている写真を掲載し民医連の看護を発信していく取り組みにもつなげています。

 日々の変化に対応しながら、コロナ禍でも私たちは患者さん・利用者さんの「その人らしさ」を大切に看護してきました。

 私たちのキラっとを共有しながら民医連の看護を未来につないていきます。

以下に、いくつかのセクションからの報告をダイジェストとして掲載します。
 
毎日の中にある、キラッと輝くたからもの

一条通病院 外来

アウトリーーーーーチ 一条通病院★外来

今回、友の会拡大・強化月間の地域訪問行動として“気になる独居高齢友の会員さん”の訪問に参加しました♪

突然ですがみなさん、災害にあった時の避難について考えたことはありますか?

緊急通報システム
ホットライン119

旭川市では災害対策として、介護認定者、障害者などの情報に基づき“避難行動要支援者名簿”の整備を行っていることをご存じでしたか?

災害の少ない旭川ではありますが、地震によるブラックアウト、台風や大雨による水害・雪害などが発生する可能性があります。

また今年は熱中症警戒アラートが北海道にも出される事態でエアコンのない家では熱中症による緊急搬送も多くありました。

いつ如何なる災害が発生するかわかりません。

今回の訪問ではこうした災害時の避難支援状況についての聞き取りも行いました。

生活の場から避難時に配慮しなくてはならない事項を、実際に目で見て聞いて確認することができました。

この訪問で病気だけではなく、患者さんの暮らしを守る病院として安心を感じてもらうことができました。

また数年ぶりの訪問行動は地域に根差す活動の必要性を改めて感じました。

小さなことからコツコツと……今後も外来の役割として患者の暮らしを守る、まちづくりの活動に取り組みます!

一条通病院 2病棟

キラッ輝くたからもの 2病棟

2階は長期入院しており、リハビリを継続していくため、心の支えとなるオンライン面会が活発に行われています。

患者のKさんは右脳梗塞後の後遺症で、最初は車椅子を使用し、高次脳機能障害により他者の援助が必要な状態でした。

2病棟は長期・長時間のリハビリを行っているのが特徴ですが、Kさんは毎日のリハビリを継続して取り組み、最後は内服の自己管理ができ、歩けるようにまで回復。スタッフとも明るくコミュニケーションをとってくださり、ご本人の地元Tシャツにはスタッフのサインが集まっていきました。

退院日にはその寄せ書きが書かれたTシャツを着て笑顔で歩いて退院されました!

リハビリを継続して行っていく為には看護師とリハビリスタッフの日々の患者との関わりは大切です。患者様一人一人の目標にたどり着けるよう支援していきたいと思います。

一条通病院 3病棟

一条通病院 4病棟

コロナ病棟の日常

一条通病院 4病棟

コロナ病棟は、2022年11月に開設し、現在は少人数のスタッフで日々地域のコロナ感染による救急患者の受け入れと入院患者さんのケアに奔走しています。通常は10日間程で退院となりますが、病状変化、隔離や制限された療養環境の中でせん妄を起こすこともあります。

病棟スタッフは短い入院期間の中でも、患者さんと積極的に関わり、成育歴、生活背景、趣味嗜好を視ることから始めその人らしさをケアに取り入れています。その例をいくつか紹介します。

重度知的障害のある患者。

刺激の少ないコロナ病棟での療養であり活動性も低かったが車が好きであることが分かった。窓から職員駐車場を見てもらうと、嬉しそうに車を指さす様子があった。YouTubeで車の動画を見てもらうと楽しそうに動画を眺めていた。

患者の趣味をケアに反映させることにより、患者にとって制限の多い療養生活の中で、楽しみを見出してもらうことが出来た。

腰痛併用で離床がなかなか進まなかった患者。

ナースコールをマイク代わりに歌う場面があり、歌が好きなことが判明。

自発性が低かったが、YouTubeで演歌を流すと楽しそうに歌い始めた。

歌が好きな事をケアに取り入れる事で活動性、ADL向上に繋げる事ができた。

病状が悪く食事をとることが困難だった患者。

患者の「ビールが飲みたい」の一言から、エナジードリンクを少しずつ勧めてみた。エナジードリンクを「ぷはぁ」と飲み、ビールと思い笑顔で摂取していた。水分にとろみが必要であり、その都度とろみをつけながらの懸命な経口摂取の介助を続けた結果、少しずつ経口摂取量が増え、食事も食べられるようになり入院前の施設へ退院する事ができた。

ぷはあ

認知症のある夫婦2人でのコロナ感染。

基本は男女別室だが、認知症もあり夫婦を離すことで環境の変化からせん妄となる可能性が大きかった。

職員間で話し合い、異例ではあるが夫婦同室とした。患者さんは安心感を得ることができ、大きなせん妄症状がなく療養生活を送ることができた。

一条クリニック

キラッと輝くたからもの

一条クリニック


一条クリニックは18名(正職9名・パート9名)の看護師が所属し、日々12~14名の看護師体制で外来業務を行っています。

一般外来、予約外来合わせて平日は毎日5診で運営しています。

今年4月から一条外来の内科もクリニックへ移行し管理患者が増えています。待合室は混雑していることが多く、待ち時間も長くなり患者さんにはご迷惑をかけていると思います。今年の看介研でも取り上げましたが、診察呼び出し時間の目安を待合室に表記したり、なによりも待っている間の患者さんへの声かけや気配り・目配りなどを意識的に行うようスタッフ全員で心掛けています。

2階のフロアでは発熱外来を行っています。発熱外来は一般診療に出ている医師が兼務で担うためとても大変になります。感染防止や業務の効率化を考え、発熱外来はタブレットを使用したオンライン診療を行っています。看護師はフルPPEで1人で患者対応するためとても忙しく、とにかく暑い…。時々熱中症様の症状でダウンする職員もいますが、職員同士で声を掛け合いながら奮闘しています。

時間をみつけてはクリニック独自で研修会を開催しています。件数は少ないですが年に1、2回は外来でも予期しない急変が発生することがあり、その時に備えてBLS研修を行いました。昨年はクリニックに新人看護師を受け入れさせてもらい、一緒にスキルアップを目指して学習しています。

患者さんに気持ちよく受診してもらえるようにという想いをこめて、クリニックの建物周囲の草むしりを看護師・事務で協力しながら行いました。

驚くほど生えていて少し躊躇しましたが、とてもキレイになった状態をみて職員全員が行って良かったと思える瞬間でした。これからも定期的に続けていきたいと思います。

一条クリニックの宮本院長は実際にクリニックの診療には出ていませんが、イベント毎にクリニックのスタッフとコミュニケーションをとって下さり、親睦を深めています。


様々な困難に直面することもありますが、
「みんなの目で患者さんを看よう」
を合言葉に日々奮闘しています。

旭川医院


キラッと輝くたからもの   ~ 旭川医院 ~

通院中の方の61%は、なんらかの慢性疾患があり、慢性疾患は「生活習慣」が発症要因に深く関与していると考えられる疾患の総称です。旭川医院にある外待合と中待合の掲示を工夫し「興味がわく療養指導」を季節に合わせて掲示をし、ポイントをまとめた用紙を自由に持参出来るように設置しています。♪

患者さんがソファーに座って自然と目に入る高さになるように掲示してます。(*^-^*)
このシリーズを作った看護師です♪
高齢者の方は便秘も多いので(^^)v
便秘のケアが大切です

ながやま医院



ながやま医院からのキラッと ★ ★ ★

道北勤医協看護のあゆみ 私と民医連
北海道 道北医協ながやま医院
看護師長 小野 順子

〈入職からのあゆみ〉

看護師の資格を取得し勤医協に入職したのは、共産党運動家の父からの勧めもありましたが、前職場にいたころから「親切でよい病院」という評判があることが何よりの動機でした。しかし、初めての育児と3交代勤務の日常業務もこなすのがやっとで、自分のレベルでは荷が重いと感じていた私は、毎日辞めることばかり考えていました。


そんな私がやりがいを見つけた民医連看護の小さな一つを紹介します。
手術後、鎮痛・解熱により発汗し一晩中苦しい思いをした患者さんは、翌日回診後には早期離床を促されます。でもその前に、私達看護師は術後の患者さんに熱布清拭をします。患者さんの胸と背、両腕の上半身を熱湯で絞った熱々タオルをあて、ほんのひと時その温かさに包まれてもらい、冷める前にサッと汗を拭います。
呼吸、循環器動態が促進される目的もありますが、「お風呂に入ったみたいで気持ちいい」「さっぱりした」と爽快感もあり、患者さんの癒しになったことを誇らしく思いました。また、入浴できない患者さんのベッドへ湯を張った桶を持参して行う、手浴足浴も好きです。

看護の基本は、「些細なことでも患者さんが看護師の行為によって心身が癒されること」だと、民医連の看護が教えてくれました。
法人看護研究会の運営委員としても長年携わってきました。患者さんの事実から出発し、生活と労働の視点で疾病を捉え、患者さんに寄り添う看護活動の実践を発表することで、日々の看護実践の振り返りを行ってきました。

〈大切にしている看護 伝えていきたい看護〉

私は「患者さんから学ぶ」という言葉も好きです。
2011年に赴任した、稚内の宗谷医院でのある日のこと。
Aさん(80歳代・男性)が受診され、『自分は糖尿病で低血糖と高血糖で繰り返し救急搬送され困っている』と訴えます。カンファレンスでは「自身でインスリンの注射をしていて、B病院が管理。認知症の妻と2人暮らし。市内に娘さんがいるから連絡してみてはどうか」「目が見えなくなってきて、自己注射が困難になっている」等々。Aさんの妻が宗谷医院併設のデイサービスを利用しているだけで、まるでかかりつけ医のような情報量の多さに驚きました。早速娘さんに連絡し、訪問看護師がインスリン注射をすることになり、日曜日は忙しい娘さんに代わりお婿さんが注射をしてくれました。HbA1cはみるみる下がり、後に訪問した際のAさんの笑顔は忘れられません。住み慣れた地域で安心して暮らせることは、「何」にもかえられないことだと感じました。

2013年旭川に戻りながやま医院へ赴任しました。
医師体制の困難さから、一時は閉院にも追い込まれましたが乗り越えた現在、コロナ禍の影響により訪問診療の依頼が増え続けています。困難な状況にある患者さん・家族と向き合い、何ができるかどうしたらできるか他職種と連携し実践しているところです。
これからも患者さんが自分らしく穏やかに過ごせるよう、民医連の看護をつないでいきたいと思います。



かたくりの郷

☆2023キラッと輝くたからもの☆かたくりの郷 療養棟☆

大人気の釣り釣りゲーム
かたくり自慢の桜
晴れた日、お花に水やり
綺麗なお花が咲きました

東光ぬくもりポート

訪問看護ステーション東光ぬくもりポート

病院から退院後訪問看護と訪問リハビリが介入しています。

訪問診療と訪問看護、多職種が連携し支援して家族とともに最期を迎えた方、現在も住み慣れたお家で過ごされた方をご紹介します。

宗谷医院管理からかたくりの郷に入所され、その後は約4か月間旭川で娘様と在宅生活を送りました。徐々に食べられなくなりながらも、再入所される前日には大好きなホタテカレーを食べました。熱心でありながら穏やかに介護されていたご家族がとても印象的でした。

深部静脈血栓症によりベッド上での生活が続いていましたが、1年以上の介護生活を経て車いすに乗れるようになりました。今年のお盆は2年振りに仏壇に手を合わせる事ができ、涙ながらに娘様へ感謝の言葉を伝えられていました。

宗谷医院

地域みんなが「推せる!」まち 稚内

宗谷医院
訪問診療編

市立稚内病院と連携

慶應義塾大学生さん
地域実習
世界に4つの化石発見!大塚医師
すごく分かりやすい説明 患者さんからの信頼大!

訪問診療一番の長寿 ツルエさん(仮)101歳

認知症がありますが一人暮らしをしています。

近くに住む息子さん夫婦が週3回おかずを届け、内服支援をしています。

「101歳になりました~ もうずいぶん長く生きています。」と満面の笑み

雪が積もった日は、剣先スコップで雪かきをしてくれます。

毎日欠かさないのが化粧水と乳液。ツヤツヤの肌です (*^^*)

市立稚内病院 植村医師
エコーが得意です!

地域のリーダー
鈴木院長!!
終末期医療 退院当日
最期まで家族と自宅で暮らすことが願いです。

宗谷さわやかポート

患者さんに寄り添った看護・介護から の学び

4病棟

  ご高齢の患者さんは、入院したときに環境の変化に慣れるのに時間がかかり、一時的に認知症状が悪化することがあります。病棟全体で、その人らしく療養できるようにどうすれば良いか日々話し合い、ケアにつなげています。
 
 泰三さんは心不全の急性期治療を終え、リハビリや今後の療養についての相談を行うため4病棟にこられました。まだ病状が不安定のため、24時間の点滴が必要で、それも認知症のため抜いてしまい危険なため、両手を抑制し、夜は点滴の鎮静剤を使用していました。しかし、夜は一睡もせず寝たり起きたりを繰り返し、昼間は帰宅願望が強く、おちついて休んでいることができません。歩く時はふらついて危険なため、常に見守りが必要ですが、泰三さんは「常に見られている」ことにストレスを感じていました。  食事を再開しても、夜点滴している鎮静剤の影響で、食器に手を伸ばしても眠気が強く口まで運べません。どうしたら食べることができるか、抑制をせず、できるだけストレスの少ない状態にしてあげたい。入院初日から、連日医師とのやり取り、カンファレンスを繰り返し、入院後1週間で鎮静剤の点滴を内服薬に変え、点滴、尿管、抑制はやめました。
旭川市 夏雲と1本の白樺
旭川市 夏雲と1本の白樺
 体についていたものが次々となくなり、自由に動く事ができストレスもなくなったため、泰三さんの表情は日に日に明るくなりましたが、夜は眠れず、寝巻きを脱いだりオムツをはずしたりは続きました。眠剤や鎮静剤を使用すると昼間まで眠気が残ってしまうので「できるだけ薬を使わず、泰三さんを支えよう」と、夜落ち着かないときはベッドごと詰所にきて眠ってもらったり、眠れそうになければ車椅子に座っていただき、夜勤者が交替でお話(見守り)をしました。その中で、以前していた仕事やご家族のことなど、色々なお話をしました。
 
 リハビリがすすみ歩けるようになってきてからは、歩きたいと希望されるときには夜中も手をつないで病棟内を散歩したり、詰所でお茶会と称し、スタッフも一緒に水分をとりながら、泰三さんが落ち着き、横になれるまで看護師、介護士が交替で付き添いました。夕方になるとご家族を待って落ち着けなくなることから、ご家族に面会時間は夕食後にしていただけるよう相談したり、食事が減った時期は好きな食べ物の差し入れをお願いしました。
 
 このかかわりを繰り返し、徐々にお薬を使わずに昼夜の生活リズムが整いました。ご家族と相談の結果、施設入所の方向には決まりましたが、泰三さんとご家族の希望から、入所までの間はご自宅で生活することになりました。ご自宅での生活に備えて福祉サービスを調整し、心不全悪化予防のための栄養相談も行いました。退院前日、泰三さんは「寂しい」と涙を流されていました。
 
 泰三さんの退院後、「元気にすごせているか」「夜眠れているか」気になった私たちは、ご自宅に訪問させていただくことにしました。その日、ご自宅に伺うと、泰三さんは椅子に座って私たちを迎えてくれました。入院中何度も「家に帰りたい」と話していた泰三さん。ご自宅に帰っての感想は「やっぱり家はいいなあ」奥さんも「一時はもうだめかと思ったけど、こんなに元気になって帰ってこれるなんて思ってもみなかったよ」と喜んでいらっしゃいました。
 
 ご高齢の患者さんにとって、環境の変化はその後の生活にも影響するので、入院中から日常生活を意識し、維持していくことが必要です。今後も入院中のストレスを最小限にできるよう、患者さん・ご家族の生活背景や意向に沿い、退院後もその人らしく笑顔で生活できるよう、スタッフ一丸となって取り組んでいきたいと思います。

診療所だからできること

ながやま医院

美瑛
美瑛
「住み慣れた地域でいつまでもいきいきと暮らしてもらいたい」 これは、診療所で働く私たちの願いです。 ある日、受付けに1本の気になる電話が。「支払いは月末になるけど、診てもらえますか?」、、、事務と看護師でご自宅まで訪問しました。
 
電話をくれたのは、治療が必要な慢性疾患をもつまりこさん、60歳。ご主人は癌で他界され、20代の娘さんと2人で生活しています。昔から暮らし向きは楽ではなく、娘さんは高校生のときからアルバイトをかけもちして家計を助け、高校卒業後は就職し、現在そのお給料が主な生計です。まりこさんもパートで働いていますが、薬代が大きな負担になることから、薬がなくなっても受診できず、間隔をあけながら通院していました。
 
ご自宅に訪問し、最初に「生活保護の申請についてどうだろうか」と問うと、娘さんはぽろぽろと涙をこぼし始めました。まりこさんは「今はこんな状況だけど、2人で相談してなんとか食費を切りつめ、できるところまで頑張ろうと決めています」「娘は若いし、お肉も食べたいときもあると思うけど、贅沢せず、3パック50円の納豆を分け合って食べると1日生活できるの」と話されました。生活保護に対して「できる限り自分たちの力で頑張ろう」と決め合ったと聞き、申請の選択枝はないとわかりました。しかし、まりこさんの病気は継続した治療が必要であることから、現在のような中断しがちな受診状況では悪化していくため、当法人の無料定額診療の申請を提案し、承諾されました。(無料定額診療制度については、病院のホームページをご覧ください)
 
今は、一条クリニックに安心して通院されています。後日「病気のことだけじゃなく、生活のことまで相談にのってもらえると思いませんでした。生活が安定したら、またながやま医院にもどってきますので、よろしくお願いします。ほんとにありがとね!」と笑顔で報告してくれました。まりこさんの笑顔に心から「関わる事ができてよかった」と思い、まりこさんご家族の幸せを願います。

法人全体でとりくむ在宅医療

在宅医療部

中富良野 ファーム富田
中富良野 ファーム富田
ハルさんは明治生まれの99歳です。ひとり暮らしで、以前はご家族と一緒に外来に通っていましたが、徐々に待ち時間がたいへんになり、2年前から往診にきりかえました。高齢ですが、とてもしっかりされているハルさんは、デイサービスに通って入浴し、自分でできない買い物や掃除をヘルパーさんに依頼して、生活を組み立てています。馬が歩いていたという昔の旭川の様子をはなしてくれます。若い頃から続けている野菜作りは、今も立派な畑になっています。冬は寒く日没も早いので、3時半にはストーブで温めた石といっしょに布団に入ります。あつい夏、食べられるようにと、降ったばかりの雪をタッパにつめて冷凍庫にたくさん入れています。生活のお話しを聞くと、驚くことも多くて、大丈夫??と往診のたび思うのですが、大きなトマトを毎日1個食べ、長年の生活の智恵で元気に過ごされています。99歳のお誕生日には「上寿」のお祝いで色紙に寄せ書きをしてプレゼントをしたら、とても喜んでくれました。
 
カズオさんは98歳の男性です。さまざまな内科の病気と認知症があり、骨折をきっかけに往診をはじめました。奥さん、息子さんご夫婦の4人で生活されていますが、奥さんとお嫁さんはそれぞれ持病があり、自由に体が動かず手助けが必要です。息子さんは仕事が忙しく、カズオさんと奥さん、お嫁さん3人が助けあい、協力しあってなんとか生活をしていた矢先の、カズオさんの骨折でした。往診と同時に、毎日のヘルパー、週2回のデイサービス、毎週の訪問看護をはじめましたが、カズオさんの認知症による生活の困難さが際立ちました。冬場、暖房のない寒い部屋で布団もパジャマもぬれたまま寝ているカズオさんに度々驚くとともに、よく熱をだして体調を崩していた理由もわかりました。介護を必要とする3人が自宅にいて、介護をする人がいない中、ケアマネージャーに生活面の情報を集中、毎日訪問するヘルパーさんとノートを使って情報交換をして、カズオさんに必要な援助が確実に行えるよう、整理していきました。お薬も確実にのめるよう、処方を整理して、ヘルパーさんのいる時間にのめるように設定しなおしました。そうしたところ、徐々に体調が良くなり、生活も安定してきました。その方の生活背景をとらえて援助することで、一見難しく見える自宅での生活も、続けられるということを実感する取り組みでした。
美瑛 ジャガイモの花咲く新栄の丘
美瑛 ジャガイモの花咲く新栄の丘
在宅で患者さん、ご家族を支援していくためには、たくさんのセクションとの連携と情報交換を大切にしています。難しい事例にもたくさん出会いますが、カンファレンスで智恵を出し合い、事例から学んでいます。患者さん、ご家族の「家に帰りたい」「安心して地域で暮らしたい」希望をかなえることができるように、支援していきたいと思います。患者さんを生活の場から捉えて、患者さんの立場に立ち、要求から出発し他職種とともに連携を重視したチーム医療の実践を、これからもがんばっていきます。

一緒に収穫祭を

訪問看護ステーション 宗谷さわやかポート

「もう、いつ逝ってもいいんだけどね。」
 
91歳のヨシさんの口癖です。自分のことより、いつも娘さんご家族のことを心配するヨシさんは、そう言ったあとにいつも「でも、今死んだら年金が入らなくなって、孫に小遣いも上げられないし、困ると思ってね、、。」と続けます。お孫さんは大学卒業後なかなか就職できず、一番の気がかりです。
稚内6~7月、訪問看護で海岸を通るとエゾスカシユリなどきれいな花が咲いています。
稚内6~7月、 訪問看護で海岸を通るとエゾスカシユリなどきれいな花が咲いています。
そんなヨシさんに大事件がおこりました。去年から、左頬にできものができ、オロナイン軟膏を塗っていましたが、なかなか治癒せずだんだんと大きくなってきたため、皮膚科を受診したところ、「転移性皮膚癌」と診断され、「予後は月単位」という余命告知までされました。それに対し、ヨシさんも娘さんも「精密検査などはせず、このまま様子をみていく」と結論をだしたので、その考えを支持するようにしました。
 
「こわいんだ」いつもストーブの前に横になっているヨシさんはとても静かです。昔は畑や庭仕事が好きだったとのこと。それでは、、、と土を耕し、種をまき、水をまき、小さな庭に数種類の作物を一緒に植えました。それからはヨながら、一生懸命水遣りをしている姿をみかけるようになりました。『一緒に収穫できるように頑張ろうね。収穫できたら収穫祭をしようね』と、訪問のたびに声をかけ続けました。収穫祭を楽しみに前向きに1日が過ごせますようにとの願いをこめて。
 
そして、あれから1年がたとうとしています。不思議なことに、あれほど大きくなっていた左頬のできものは、いつの間にか小さく小さくなっていき、消えていました。ヨシさんは、庭に枝豆をまいたことも、残り少ない命だったことも、すっかり忘れて日々生活しています。
 
今年もまた一緒に種を植えて、作物の成長を一緒に楽しみながらすごしていこうと思っています。

患者さんの辛さに共感し、あきらめないでサポートしたい

~患者さんに笑顔が戻ることが、私たちの最高の喜び~

3病棟

きみこさん(仮名70才)はグループホーム入所中に仙骨部に巨大な褥瘡ができ治療目的で入院しました。精神疾患があり、意志の疎通が難しく、昼夜を問わず大きな声を出し、幻覚や独語、殴る、蹴るなどの行為がありました。そのような症状が毎日続くのはご本人にとって辛いのではと、総合的に治療ができる病院に相談をしましたが、受け入れてもらえる病院はありませんでした。精神科では褥瘡があることから入院は難しく、通院で薬を調整していくことになりました。看護師も精神状態が不安定で暴力行為があるきみこさんを担当することはかなりの負担でした。そのためチームで疾患に関する学習や安全な医療、看護が提供できるように看護の統一を図るカンファレンスを重ねてきました。きみこさんは、約2ヶ月で内服コントロールがつき次第に落ち着いた療養生活ができるようになり、笑顔や「ありがとう」の言葉も聞かれるようになりました。そのことは看護の励みになりました。又、巨大な褥瘡は医師、栄養師、看護師の連携により9ヶ月で完治することができました。どんな時も、チームが一丸になり、患者さんの辛さに共感できる看護をこれからもしてゆきます。

「この家で犬と暮らすのが俺の楽しみ」という熱意に共感して

訪問看護ステーション東光ぬくもりポート

潔さん(仮名80才)は4年前から在宅酸素療法を始めデイサービス、訪問看護、訪問ヘルパーを利用しながら大好きな犬2匹と一人で暮らしていました。潔さんの家は築40年以上で、寒くすきま風が入り、冬期間は呼吸器の病気がある清さんにとっては命を脅かすものでした。そのため冬期間は療養病棟に入院し安心して生活することができました。しかし、入院中にねずみが自宅を占拠し、犬の餌や仏壇のお供えを食べ、援助に入っているヘルパーさんの前にも平気で顔を出すようになりました。ご本人はさほど苦にしていないためなかなか駆除に踏み切れませんでした。そこで、ケアマネージャーがリーダーとなり、ケアに関わっているスタッフが検討し、酸素の管をかじる危険性などをご本人に説明しねずみ駆除に踏み切ることになりました。ねずみとり籠や粘着テープを設置し一週間で合計20匹のねずみ駆除に成功しました。その後ねずみは出没せず安定した在宅生活をすごすことができました。私たちは、国の政策で療養病棟が削減される中で今後は施設入所をと考えていましたが、潔さんの「この家で犬と住むのが俺の楽しみ。」という熱い気持ちに共感し、住み慣れた場所での生活をこれからも支えていきます。

小さな気づきを大切に患者さんに寄り添う看護がしたい。

4病棟

武さん(仮名75才)は小脳出血のため2年前から入院しています。病状が安定しても痰が多く誤嚥性肺炎を繰り返し、嘔吐などで経管栄養の確立が難しく入院が長期化していく中で次第に表情が乏しく、目の輝きも失ってきました。ご家族の面会の時に武さんは果実の栽培やトラクターを自ら作ることが趣味というお話をうかがいました。ご家族に武さんが育てていた果実の写真を持ってきてもらい病室に飾りました。武さんは写真をじっと見つめていました。暖かい日は10分程度外を散歩し花を眺めました。穏やかな表情でした。武さんの小さな変化を見ていたナースから外出プランの提案がありチームでカンファレンスをしました。病状が安定し主治医からの許可もおり、ご家族から武さんが植えた果物の実がなる頃の外出希望がされました。サクションが必要なため看護師が同行しました。外出時の写真には武さんが植えた果実を手に微笑んでいるような表情が写っていました。これからも、小さな気づきを大切に、患者さんに寄り添う看護をチームでしていきたいです。

人工呼吸器をつけて本州から旭川へ

4病棟

昨年のお正月すぎに、病院に1本の電話が入りました。それは、人工呼吸器をつけて本州で在宅療養をしている和人さん(仮名25歳)のお母さんからの相談で、「長年息子の在宅介護をしていたが、このたび故郷の旭川に息子と移り住みたいと思う。在宅と入院含めた息子への医学管理や支援をしてくれる病院を探している」というもので、旭川の電話帳を見て片っ端から電話をかけ続け、当院にたどりついた、ということでした。現在4病棟には常時人工呼吸器をつけている患者さんが2名入院されており、日々その方たちのリハビリの送迎や入浴介助、時には外出支援を行っていますが、呼吸器をつけた方への在宅支援ははじめての経験ですし、また、3台目の人工呼吸器管理となると、Nsの負担も大きくなります。ですが、ここでお断りをしたら、和人さんとお母さんはまたふりだしに戻ることになります。「私たちに相談してくれた、ということを大切に考えよう」とスタッフ全体で意思統一をし、受け入れ準備のための事前調整をすすめていきました。夏の終わり、本州を早朝5時に出発した和人さんとお母さんが当院に到着されました。およそ1ヶ月間入院していただき、その間にレスピレーターをつけて在宅生活ができるよう、準備をしました。ですが、自治体により細かなところで違いがあるため、以前はレンタルできていたものを旭川では購入しなければならない、利用料金がちがう、などお母さんの負担を考えると調整することは山積みでした。しかし、在宅医療部やMSWのネットワークという民医連ならではの強みで、無事準備を整え、在宅に移行することができました。 もともと和人さんは意識がなく寝たきりの状態でしたが、大きな病状の変化もなく、その後もレスパイト(介護者の休息が目的の短期入院)で当病棟へ2回入院されています。今回のことは、私たちNsにとっても、ご本人・ご家族への支援やチーム医療を確認する良い機会となりました。今後も患者さん、ご家族の願いにこたえる医療活動をしていきたいと思います。

「こどもにあいたい」~患者さんのこころの奥にあった願い~

3病棟

今年68歳の京子さん(仮名)は、下肢の閉塞性動脈硬化症により入院し、下肢のバイパス術と切断術を受けました。手術前から食欲がなく精神的に落ち込んでいましたが、手術後更にそれが強くなり、リハビリも拒否され回復への意欲は低下する一方でした。京子さんは認知症があり、食事やリハビリが創の治りを良くし、回復につながるということを理解してはいただけませんでした。しかし、闘病中の京子さんの様々な言葉の中から、糸口を見つけることができました。それは「幼いときに手放してしまった、こどもにあいたい」ということでした。京子さんには複雑な事情があり、入院後面会に来られるご家族はいませんでした。MSWと連携し、何十年も音信不通だったお子さんと連絡をとることができました。「何て声をかけたらいいの?会うのが怖い」再会前日にそう話していた京子さん、当日はお子さんの顔を見ながら、言葉も無く涙を流し続けていました。医師や看護師が「今までお母さんがお子さんに会うことを楽しみにしていたこと、それを励みにご飯も食べるようになれたこと」などをお話ししました。別れ際、親子で手を握りあい、涙を流しあう京子さんの手には、お子さんからのお土産のカーディガンが大切に握られていました。この再会を機に、京子さんは確実にかわりました。笑顔が増え、気持ちも前向きになり、リハビリ参加も日課になりました。生きる意欲をとりもどし、回復の道すじをたどることができました。そうして、下肢の創も完全に治癒し、装具が完成したとき、「これは私の足」と言って大粒の涙を流されていました。 病気、まして手術となると、認知症をもつ高齢者には相当なストレスがあります。患者さんの生きてきた背景を十分理解した看護が必要なことを、あらためて学ばせていただいた事例でした。

最後まで住み慣れた我が家にいたい

一条外来

陽子さん(仮名、79歳)は、数年前にご主人を看取り、一人で暮らしていました。お話し好きで、受診のたびに最近の出来事などを楽しく話してくれました。体は癌の転移が全身にひろがり厳しい状態で、ご自身もそのことを知っていましたが、周囲にそう感じさせないくらい、いつも明るい陽子さんでした。病状が進み、遠方に住む息子さん宅へ転居の相談がされましたが、陽子さんは「私は40年間住みなれた家にいたい。ずっと通ったこの病院で看取ってもらいたい」と看護師の手を握りしめ、涙をぽろぽろとこぼしながら話されました。 その願いにこたえたい、私たちはそう強く思い、陽子さん、ご家族と患者参加型看護計画を立てました。いつも周りに気をつかう陽子さんが、つらいときにがまんしすぎず、住み慣れた家でできるだけ生活を続ける事ができるように、という内容でした。同時に、外来でのカンファレンスを重ね情報を共有し、来院や入院のとき、スムーズに対応できるよう準備をする一方で、体調の確認のため頻繁に陽子さんへ連絡をしていました。 11月、お誕生日の翌日に陽子さんは入院しました。入院後は鎮静剤を使いながら、会いたい人たちみんなと会い、2週間後にご家族に見守られながら静かに息を引き取りました。後日お悔やみ訪問に伺うと、たくさんのお花やお供えものに囲まれた陽子さんの遺影がありました。「とても素敵でしょう。お見合い写真みたいでしょう。亡くなったときも、孫と一緒にお化粧をしてもらって、本当にいい顔だったよ。お通夜やお葬式にもたくさんの人がきてくれて、泣いたり笑ったり、、、最後まで自分らしく過ごせて、母はほんとに幸せだったと思う。私たち家族も、悔いは残ってないんだよ。」息子さんご夫婦が話してくれました。そのとき、本人の願いから出発し、家族も医療者も同じ想いで陽子さんの最後の生活を支えることができたということを、あらためて実感することができました
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